
「もし、自分に10の力があるのなら、それで100のものをつくるよりも、1つのものを作る。
そうやって集約させることで、力をより十分に出せるんじゃないかって・・・そう思うんですよ。」
というペリカンの渡辺さん。
何百、何千という種類のパンがバラエティ豊かにそろっている今の時代、この店で作られているのは
食パン、ロールパン、バンズ(ホットドック用のドックパンとハンバーガー用の丸パン)の3種類だけ。
そのスタイルは、昭和24年の創業の頃から続いている。
「最初はジャムパンやクリームパンなど、他の店と同じような商品も作っていたんですけど、
すぐに喫茶店で出すパン(戦後、一家の主人の唯一の息抜き場として喫茶店は大流行だった)も
並行して作るようになりました。」
店を始めたのは父親だったが、渡辺さんは昭和30年代に入って大学を卒業すると、すぐにあとを継いだ。
戦後は「ペリカン」のほかにも近所に雨後の筍のようにパン屋ができ、昭和30年代にはまさに飽和状態。
そうなると当然、売れる店と売れない店が出てくる。
人と争うことが嫌いな渡辺さんは、他の店と競合せずにできる商売のやり方はないかと考えた末、
菓子パン類をやめ喫茶店やホテルに卸すのを中心に、食パン、ロールパン、バンズだけに絞る。
「人間は普通に”こんにちは・さようなら”がいえる仲なのに、同業者で競合することによって、
気持ちの食い違いが生じてしまったり・・・そういうことが、なんか嫌だったんですよ。
そのかわり、この3つでは誰にも負けないものを作ろうと心に決めました。」
以来今日まで、新しいパンを作りたいと思ったことは一度もないという。
「親父が昔、しみじみいっていたんです。”香りの高いコーヒーとバタートーストの朝食は最高だな”って。
その言葉がずっと頭の中にありましたから・・・。」

父親は戦前からミルクホールや喫茶店を経営し、コーヒーには特にこだわる人だった。
コーヒーの飲みすぎで胃に穴があいてしまったので、やむなくコーヒーと訣別、パン屋を始めたのだ。
「自分でも、朝に食べるバタートーストとホットコーヒーって、こたえられないなという思いが、たしかにありました。
日本人なら、朝はふっくらと炊き上がったご飯と味噌汁という定番がある。
でも、戦後はパン食がどんどん普及して、朝食にパンを食べる人が増えてくるはず。
そんな食卓に、本当においしいと思える食パンやロールパンを提供できたらいいなあという思いで続けてきたんです。」
年々、巷にはさまざまなパンが登場してくる。でもそこで次々とお客さんに迎合したパンを作っていくと、
自分の志からはどんどん遠いところへいってしまう。だから方針は変えなかった。
「うちはうちのパン、とはっきり打ちだして、気に入ってくれる人が来てくれればいいんだという気持ちでした。」

子供の頃からパン作り一筋だったが、学校の友達からはいろいろなことを教わったという渡辺さん。
「父が胃をこわして入院したんで中学を休学して店を手伝ったでしょ。
私は長男で、その頃は年下の人間はみんな自分より劣っているって思いこんでたんですよ。
でも、1年遅れて復学して年下とちゃんと接してみると、年は下でも頭のいいやつとか
体力のあるやつがいるんだというのをすごく実感したんです。あたりまえのことなのに、それまでわからなかったんですね・・・。」
やみくもに人と争うことはしたくない。そんな考え方のルーツは、誰にも個性と才能があるということに
気がついた少年時代にあるのかもしれない。
食パンやロールパンといえば、日本人にとっては特になじみの深いパンだ。
それだけに、飽きのこない毎日食べ続けられる味を目指して、今も研究を続けている。
たとえば、暑い時期には冷たいものを欲し、寒い時期にはあったかいものが食べたくなるのと同じように、体が自然に求めるパン。
「理由はわからないけど無性にあれが食べたい、という気持ちになることってありますよね。
その欲求の本質的な部分を探って、それに接近していくような・・・そんなパンを作りたい。
さりげなく、細く長くおつきあいができるパン。それが望みなんです。」
いつでも抵抗なく食べられる味をめざして、時代とともに日本人の仕事や生活環境を考慮して塩や砂糖の量を加減する。
また、ロールパンについては、生地の弾力や張力の違いが味覚に与える影響を考えに入れて、今でも一つ一つ手で巻くなど、
一見どこにでもありそうなプレーンな食パンやロールパンのなかには、じつにさまざまな思いやこだわりが詰まっている。
表面的には強い主張はしない代わりに、食べたときにしっかりした存在感を発揮するパンのおいしさの秘密は、
そういうところにあるような気がした。